Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://kannaigai.blog83.fc2.com/tb.php/43-920a4ed2

トラックバック

長者町アートプラネット(CHAP)インタビュー その1

 関内外OPEN!インターンの近藤です。今回は長者町アートプラネットのCHAPの運営と、横浜市初音町のギャラリーショップ「ちりめんや」の経営を行っているアーティスト、竹本真紀さんにお話を伺いました。

1take

 竹本さんは、アーティストとしての活動を行いながら、アートコーディネーターとしての活動も精力的に行っていらっしゃいます。アーティストとしての考え方や、コーディネーターとしての考え方など、多岐にわたるその活動内容について独自の観点からお話しいただきました。

 今回の取材は関外コースのツアーを担当するインターンの近藤、小島、辻の3人で行い、内容は3つに分けて掲載いたします。



―竹本さんご自身がアーティストとして活動されるまでの経歴について聞かせて下さい。


 絵を描くのは小さい頃から好きで、自分は絵を描いて生きていくんだろうとは思っていました。皆に「絵上手いね」と言われていたので漫画家になろうと思っていました。でも高校生位になると周りも現実的になり、漫画家になることは現実問題安定していないという話になりました。美大に行きたいとも思っていたのですが、家庭の事情などもあり、県内の国立大学である弘前大学に行く事にしました。
 大学は教育学部の小学校教員養成過程という所で、最初は国語を専攻していました。もちろんその時も美術をやりたい気持ちはあったのですが、当時は自分が絵を好きで描いていることと、大学で学ぶ美術というものが中々自分の中では結びついていなかったので、その頃はあえて美術をやらない姿勢でいました。今考えると少し美術に対するやっかみがあったかもしれません。


―そのまま大学では教員になる為の勉強をされていたのですか?


 大学2年生位までは小学校の先生になるルートで進んでいたのですが、自由科目で美術の講義を何気ない気持ちで受けてみたら、その授業がすごく面白くて惹きつけられました。1970年代のウッドストックのローリングストーンズの映像を流したり、三島由紀夫の映像を映して「これが美術だ!」と言うような先生だったんです。とても面白いな、と思いました。
 父親が昔バンドをやっていたので、小さい頃から昔の洋楽を聴いて育ったこともあり、自分の生活の中のバックグラウンドと美術が一致した瞬間でした。その時初めて、美術と自分の生活はあまり変わりがないんだ、と思えて、それまでは美術をやりたいのに環境がうまくいかなくてやれないと感じていたのですが、その時にその気持ちが全部「美術やりたい!」と言う風に爆発してしまいました。


―その時に、これからはずっと美術の方向に行こうと決断されたという事ですか?


 そうですね。取らなければいけない単位を取りながらゼミを美術専攻にして、全部美術に切り替えました。美術に決めてやってみたら、割と自分の大学には芸術家の先生が隠れている事が分かったので、その先生方にすごく密の深い関係を結んで頂き、色々美術について教えてもらいました。


―弘前大学では美術家の岩井康頼先生と村上善男先生に師事されたそうですね。


 岩井先生はさっきの「これが美術だ!」という授業を教えて頂いた先生です。国画会に所属していた割とアカデミックな先生なのですが、現代美術や舞踏が大好きな先生でした。その先生が毎週現代美術の用語の勉強会を講義以外の時間に開いていたので、気軽な雰囲気で皆で調べて参加していました。村上先生は二科展の岡本太郎部屋にいた人です。他にも日本で最初のグッドデザイン賞を受賞した矢野先生という方がいたり、アングラを素で行くような濃い先生たちが沢山いる大学でした。大学の中に、教育学部なので色んな学部があって色々な分野の先生の横の繋がりが沢山あるような、それがすごく面白い大学でした。


―大学時代はどんな創作活動をされていましたか?


 自分で絵を描くことは日常的にしていたのですが、大学の頃描いていたのは漫画みたいな物が多かったです。雑誌を模写したり。寮が6畳に2人なので狭く、机しかなかったのでその中でできる範囲で何か描いていました。3年生でゼミを美術専攻にしてからは、油絵で半抽象のような、キュビスムみたいな絵を描いていました。
 当時は100号、150号位の大きい作品を制作していました。ずーっと描いていて、頭おかしいくらい描いていましたよ。一応大学院に行くという設定を先生が作ってくれていたのでその時は作風がどうしても先生の所属する国画会寄りになっていました。国画会ってキュビスムが多いんですよ。下塗りがガッチリ系とかが多くて。自分はあまり興味がないけど、その系統で受けるコースの鍛えられ方をその時はしていました。筑波の油彩科とか芸大の油画科とかそういう設定でガーッとやっていたんですよ。だから全部大きいの描けみたいな、半ばスパルタのような、大きいサイズの画面にひたすら慣れるみたいな感じで描いていました。本当に貧乏だったので卒業生が大学に置いていったキャンバスをもらったりして描いていましたね。


―生活する上で「描くことが中心」という感じだったのですか?


 部活にも入っていました。割と本格的なバレーボール部に入っていて、部活が制作の良い気分転換になっていました。色々なアルバイトもやっていました。具体的には、そば屋、家庭教師、図画工作の教室の助手などです。

▷インタビューは次の記事に続きます。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://kannaigai.blog83.fc2.com/tb.php/43-920a4ed2

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。